2010年代に対しての振り返りをすることが最近多い。2026年折り返してしまったが、今だからこそ振り返ることができることも多いのではないかとも思う。
そういった時に下記の動画でも話したのだが、経済優位の時代が2010年代であるならば2020年代というものは政治優位の時代になってきるのではないかという仮説を話した。
リベラル的な自由というルールのもとに経済が政治を優位し、つまりは便利であれば便益があれば使われる、需要と供給において世界が動いていくような時代精神があったように自分は思う。そこに政治という要因が比較的少なかった(少ないように見えた)
技術から政府へ。変化の主役が変化
今自分がしているベンチャーキャピタルという仕事は変化がないと儲からない仕事だと思っている。そういった変化が少ない社会(まあそんな社会はないが)においては現状の市場シェアなどが固定的になってしまうし、変化が起きづらい。勝つものが勝ち続ける構図になりやすい。そういう社会においては急速に成長がする企業というものは生まれづらい。だからVCとしても儲かりずらい構造にある。
この数十年VC/スタートアップというものが成長してきたのは技術が変化の主体として大躍進したからであると思っている。自分は社会人になってからのことしか語れないが、まずはやはりインターネットという大発明があったなかで、そこでPCがでて、モバイルがでて、スマートフォンがでて、クラウドが整備され、、みたな話のなかでその大きな変化を技術が生み出していった。しかしweb3.0やVR/XRなどのような技術だけでは大きく変化を起こしづらくなってきたのが2020年代の初頭あたりだったような気がする。
そのような中で、2年前ほどにも上記の記事を書いているが変化を起こすためには技術だけでは足りず、思想/ナラティヴ/政府の役割のようなものがどんどん大きくなってきている気がする。そういったなかで、より政府の方針や補助金などのようなもので変化を生む機運が高まってきているということを個人的には感じていた。つまり変化を変える主役/主体というものが技術から別なものに変わっていく時代感がある。
それでわかりやすいのが政府である。実際に高市政権が戦略分野を発表したり、またそれに伴う補助金制度など多くでるなから、この数年そういった補助金をテーマとした起業が増えてきた実感もある。大きな変化を政府が生みだそうとするなかで、それに乗っていくことが増えている気がする。
予言の自己成就
そんなときに、先週この記事を読んで、非常に自分が感じている変化に似ていた。ぜひ詳しくは上記の記事を読んでほしいが、アメリカのベンチャーキャピタルについていかに変化してきたかがよくわかる記事となるし、これは日本においても同じ韻を踏むことがある気がしてならない。いくつか記事をAIで翻訳したものをピックアップしてみる。
ここで登場するのがベンチャー・デベロップメンタリズム(Venture Developmentalism)、今の私が経済発展の話として最も多くの時間を費やしているテーマである。
投資できるスタートアップの数が減っても高いリターンを維持するために、メガファンドたちは、市場が思い通りに協力してくれなくなったときに大きな組織がいつもやることを始めた。彼らは「政策」の上流へと動き始めたのだ――自分たちがかつて軽蔑してみせていたはずのものに、自ら成り果てながら。
これこそが、私が「ビッグ・ベンチャー」と呼ぶときに意味していることだ。それは業界の最上層に位置し、数百億ドルを運用しながら、投資クラスというよりもむしろシャドー(影の)産業政策のように機能している存在である。
セコイア・キャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツ(a16z)、ファウンダーズ・ファンド、タイガー・グローバル、コーチュー、ソフトバンクのビジョン・ファンド、コスラ・ベンチャーズを思い浮かべてほしい。これらはいずれも、業界内であまりに巨大かつ競争が激しいため、もはや「マーケット・ディスカバリー」に頼ることができない企業群である。そのためその規模ゆえに、アウトカムを自ら作り出し、規制の虜(レギュラトリー・キャプチャー)を通じて参入障壁(モート)を築き、最終的にはポートフォリオを国家の政策に合わせていかざるを得なくなる。
(中略)
つまり、もはや幸運である必要も「未来を予測する」必要もなく、権力とレバレッジを固めさえすればいい。そしてそのレバレッジは4つの形を取った。ナラティブ、ネットワーク、規制、産業。
くだらない消費者向けアプリやプロダクトでは自分たちの莫大な資本を吸収できないとビッグ・ベンチャーが気づいたとき(どれだけ何十億ドルを投じても、人々にオールバーズを履きたいとは思わせられなかった)、彼らはAI、防衛、エネルギー、半導体といった戦略産業へと軸足を移した。
資本はもはやチャンスを追いかける必要がなくなり、すでにその条件そのものを自ら作り出していたからだ(皮肉なことに、これはまさに「政府」の役割そのものである!)。
こうしてサイクルが一巡するごとに、ベンチャー・メガファンドと国家との関係はより緊密に、そしてますます不可欠なものになっていった:
巨大なメガファンドは政策に依存し始める
政策も同様にメガファンドに依存し始める
政策とメガファンドの両方が「確実性」に依存するようになる
そして確実性を手にすれば、より大きなメガファンドにも、より大きな政府にもなれる
上記は本文中の一部抜粋ではあるが、このつまみ食いでも言わんとしていることはわかるのではないだろうか。ベンチャーキャピタルの資本が増大になっていったときに、技術だけや手前のトレンドだけだと莫大な資本を吸収し、それを返すほどの成長が見込めないということになってきているアメリカにおいては、より上流にVCやスタートアップという概念が入り込み、より国家との関係性を緊密にしていっている。
カウンターカルチャー的に生まれた概念であるはずなのに、その規模を大きくしていくなかで、忌み嫌ってきた主権/権力である国家と手を組むことになっていく理由というものがこの記事を読むとよくわかる。まるで予言の自己成就としてスタートアップ投資というものがアメリカでは行われているようになってきているのではないかということをこの記事を読みながら思えた。
日本のVC/スタートアップ業界はどうなるのか
一方でこの歴史性を単純に日本に当てはめることができるのかというと、、正直まだ読めない。$1B級のファンドがあるUSと日本においては天と地ほどVCファンドサイズも違う。ベンチャーキャピタルやスタートアップ的なものが及ぼす影響力というのも全く異なってくる。そういった中でどのように変化を生み出していくのか、、そういったことをこの記事を読みながら改めて考え直さないといけないと思えた。その荒い仮説というのは、まだ荒いので有料で少し書くが、ぜひこのあたり一緒に考えてくれる人、ご連絡お待ちしてます。




