久々のUS訪問
先週久々にアメリカに行ってきた。ずっと久々に訪問してみたかったが、コロナをきっかけに機会を逃していた。それまでは年に1度ぐらいは訪問していた記憶がある。真面目になかなか機会もないなかで、一旦いくのもな・・ということを考えながら過ごしていると、結局いくことが遅くなってしまった。(とりあえず行動というのと、目的感を自分でも納得した上でいきたいみたいなのがでてしまう)
結構変わっている部分と変わっていない部分もあるなあと思いつつ、今回滞在した主目的であるOffkaiというVtuberのイベントを中心に旅行滞在記を今回は書いてみたい。いつもより緩い感じとなり恐縮だが、メールマガジンなのでそんなものだと捉えていただければ幸いである。
Offkai:USのVtuber最大イベント
今回の大きな目的だったのがこのOffkaiへの参加である。投資先にAnotherballという会社があり、AniLiveというVtuber配信PF事業を海外で展開している企業である。そこの代表の大湯さんに誘われていったというのが今回の弾丸渡米の理由であった。
そもそも今年はさすがにUSに行こうとおもいつつ、日々の業務にいそがしかったり変に考えすぎてしまうよくないクセがあり、いまいってなにになるんだ?とかなんかリターンはあるのかみたいなことを考えている間に時が過ぎてしまっていたので、これは良いタイミングだとノリで行ってみた。
“Japan to Global”な領域はどこだ
なぜOffkaiに行ってみたかというのは、Japan to Globalの領域としてVtuber・コンテンツ領域が現地の人から見てどう考えられているのかを肌感を持って体験したかったからだ。
“Japan to Global”ということが言われてから久しいが、この5年ほどで更に一気に進んだのがアニメ・コンテンツ領域であることは明白である。インターネットサービスのようなアプリケーションソフトウェアは、国境を超えて海外ユーザーに届くと考えていたが、蓋をあけてみると、インターネット自体は巨大PFに独占され整備された結果その上のコンテンツがより世界に届きやすくなったのではないだろうか。
日本からはYouTubeやTwitch、 TikTok、Netflixなど残念ながら巨大なPFのようなWebサービスは世界的なシェアをとることがなかなか難しかったという状態と、いま自分は認識している。そういったPFサービス自体はUSやChinaなどの企業が巨大な資本を活用してシェアを2010年代に拡大していった。
その上のコンテンツにおいては日本はレバレッジが効く、#35 失われた30年で何を日本は得たのか という過去の記事でもかいたが、この30年に培ってきたソフトパワーは日本にある。その中で一つこの10年間で出現した特異点がVtuberというコンテンツなのではないかと考えている。
日本なりのナラティヴ(ニコ動のようなインターネットカルチャーの延長)とアイドル文化などが混ざってでてきたもののように感じる。そういったコンテンツ・カルチャーが、US企業が耕してくれた巨大PFの上で拡散されていった。そしてそのVtuberがいまUSで徐々に盛り上がりを見せてきていることをは見ていたので、今回Offkaiという場で熱量を感じられるのではないかと思い、訪問してきた。
ここはコミケ?日本よりもJapanの香りがする
1日だけ朝からいたが、熱気は非常に高かった。Videoで下記でまとめてみたが、様々なスペースで所狭しと人がいた。ただどこを見てもなんかみたことある雰囲気、光景だなとおもえた、そしてわかったああすごいコミケに似ている。(まあ白状すると2回ぐらいしかコミケにはいったことないけども)
周りの絵柄とかも全て日本っぽいし、聞こえる言語は全て英語なはずなのに雰囲気としてはそういった日本のようなものを感じる。しかもたまに本当に日本語っぽいものが聞こえてくる。日本のインターネット・ミームはそのままの言語で伝わっている。(〜dayo、おはんこんばんわ?とか、YOMEとか)どこでそんな言葉を覚えたのかということを聞いてみているとやはり日本のアニメやVtuberを見て学んだということで、言語学習にもなるし、なんていうかそういったミームワードをいうことが面白いみたいな感じになっていて、日本より濃度が濃い空間だったような気がしている。
アニメとともに育った世代
”1995−2000年生まれの人がこの会場には多いんじゃないかな?”そんなことを会場やパーティーで話すなかで、聞こえてきた。その世代は親もアニメの理解があるし、自分も小さい頃から日本のアニメや漫画などの文化に親しんできた世代が多い。その延長においてVtuberみたいな文化を見ていると話していた。更にそれが今後親になり子供ができると、より一層アニメ文化は継続されていく感覚がある。
またこれも考えれば普通なことだが、海外で話してもSPYFAMILYの映画みたよとか、鬼滅の刃(Demon slayer)の最新話いいよねみたいな話が普通に通じて、コンテンツのヒットの同時性みたいなのは感じることができた。そういった特にオタク気質というか、好きなもので通じている世代にとっては国境など関係ない、BarajiのいうNetworks statesはもはやオタクの中ではある種国が本当にできているのではないかということを感じられた。
コスプレの一種?:Vtuberの自己開示性
それと自分の中で結構面白かったのは、合う人とはなすと自分がどのVtuberであるかということを積極的に開示していく文化だ。自己開示をすごくしてくれる。日本はどちらかというと中の人の外見などが、外にでることはあんまり少ない気がしている。一方、This is me ! みたいな形で、合う人が見せてくれるし、アカウントを見たら普通に自分の普段の顔も載っているし、Vtuberとしても活動している様子が見れる。
日本はニコニコの流れなのか、自分の世代なのかやっぱりまだ顔を出すとかそういうのに抵抗がある気がする。(ただこれは自分の世代の特性なきもするので、その下の世代であるいまの20代前半からすると違う感性かもしれない。)そこと比較すると、こういった隠さないというかそういう文化の違いを感じた。
Japanese Kawaiiの2次元世界におけるグローバリゼーション
海外のVtuberだから少し海外テイストのキャラクターとかいるのかな?みたいな安直な考えで行って探してみたがどこを見ても日本のイラストレーターの絵柄しかなくて、逆にすごいなと感じた。IndependentなVtuberの方に聞いたら、日本のイラストレーターに日本語でDMして買いてもらっているらしい。
Kawaiiという感情の対象のものが同じになっていくような、ある種のグローバリゼーションが浸透していっているようなことを思えた。西洋的美というものが現実世界において、グローバリゼーションによって浸透していったように、アバターや二次元上の美とかKawaiiというものは実は日本がグローバリゼーションを進めていっているのかもしれない。
文化の違い:Authenticity voice に対して投げ銭する
Anotherballの大湯さんの紹介もあって、phase connectというカナダの会社だが、sakanaさんという代表の方と話す機会があった。カナダのDigital Agencyに勤めていたときに、コロナで時間ができて、オンラインで見ていると日本のVtuber文化に触れて起業したらしい。
彼と話す中で面白い違いだなと感じたことは、USだと投げ銭(Gifting)が飛ぶときが少し異なる時があるという話だ。特にそれはTwitchのPF上ではよく見られるという。Vtuberが歌い終わったりそういったアイドル的なギフティングもあるが、それはYouTubeにおいて顕著。そこは日本と同じだという。
逆に、TwitchなどではどういうときにGiftingが発生するかというと、Authenticity voiceに対して同意やComplimentなどを表すために行われるという。それは政治的な態度であったり、自分の弱みであったりするようなものらしい。このあたりのニュアンスはUS的な文化背景がありそうだなと思えた。
日本のライブ配信文化は最先端
これはそのときの会話ではないが、違うタイミングで会話のなかで言われたことで、カルチャーぽい話において、ライブ配信文化は結構日本の面白みとか、空気の文化とか色々混ざり合って面白くなってきているのだろうなと思えた。例えばお笑い文化とも混じり合って、霜降り明星の粗品のスパチャ芸なども見るに、なにかすごく進化しているし、独特な気がしており、実はそのあたりは輸出可能な文化なのかもしれないと思えた
Vtuberは海外で流行っているのか
とどのつまりここまで熱量高い!すごいみたいなテンションで書いてきたが、実際にVtuberって流行っているの?みたいなことを会場にいる人に10人程度だが話してみると、面白かったのが全員その場にいたとしてもすごく流行っているよ!!みたいな反応は帰ってこない。
ほとんど全員が、”Soso”か”Getting growth”みたいなことが返ってくる。この場にいてもそういった認識なので、まだまだ社会認知的にはすごい低いのだろうと思う。でも確かに熱量はそこにある。この数年でもう少し火がついていくのか、日本独自のカルチャーで好む人は好むぐらいで終わるのかは注目して見ていたいと思う。
ただOffkai来年やるとしたら、もう会場が人でいっぱいだからもっとキャパが多いところで行うというような話をしていて、規模感が年々成長していっていることは確かであろう。このあたりは自分もどのようになっていくのか楽しみである。
サンフランシスコの街:テックと金といびつさ
サンフランシスコは危険になったぞという記事やニュースはよく見ていたので、正直少し怯えながら行ったが、まあ過去のサンフランシスコと比べるほどいってないので正直わからなかった。この滞在中に危険だったことはない。(現地の人と話すと、最近より治安は良くなってきているらしい。)
ただ軽犯罪(窃盗など)はおきているんだろうなという実感はそこらかしこからした。やはり店舗が前来たときよりは、空き店舗になっているところが非常に多かった。またスーパーなどにいっても、ハーゲンダッツあたりから鍵がかかっていて、店員に声をかけないととることができないようになっていた。また少し高めの商品はすぐとれないような仕組みになっていたりとそういったところから、さすがに日本とは違うなと思えた(当たり前)
まあこれも伝統芸能になってきたけど、全てが高い。サンフランシスコはいま世界でも一番高いGDPになっているらしいと現地で働く方から聞いた。住民の人口はへっているが、コロナ後にやはりVCや、Big techの企業の人はどんどん来ている。新卒でも給料は1200K-1400Kドルぐらいエンジニアで払う(1500-2000万ぐらい?)らしいので、極端に給料ベースが高いひとたちが残っているようなシティになってきており、すごくサンフランシスコの街というのは一つの世界のありようを表しているなと思えた。
Uberが高い
あと個人的に驚いたのが、Uberの料金が非常に高いことだ。数年前行ったときには、Uberプールなど含めて非常に便利すぎて、安くて最高!と思いながら利用頻度を高くつかっていたが、今回いったらほとんど日本のタクシー料金と同じ、多分円安影響でさらに正直高い。みたいな状態になっていた。
それにつられてLimeのような電動キックボードも非常に高くなっていた。Uberと正直同料金ぐらいで、どういうこと・・?という値段になっていた。町中を走っている数が圧倒的に数年前より少なかったが、それはこの値段が原因であった。スタンフォードあたりいくと自分の電動キックボードをつかっているユーザーが圧倒的に多く、レンタルする意味がなくなっているのだなということを郊外では感じた。そりゃああの値段の高さならそうなるわな。。
結論公共交通が安いからみんな使っているみたいな話を聞き、何かアメリカのダイナミクスさをここにみたような気持ちになった。
自動運転は希望
テックの街ということで、毎回行くたびにいろいろそのときのトレンドのものには体験しようと思っていて、過去数年は例えばD2Cのショップを巡ってみたり(その当時のD2Cの店舗ほぼ消えてた)、LUUPなどの検討時には電動キックボードを乗ったり、毎回行くたびにある程度感動をする体験があるのだが今回は確実に自動運転だった。
Waymoの動画とかは出回ったりしているのだが、やっぱり乗ってみないとわからんところもあるなあという。完全にミーティングはあそこでできるし、運転は絶対に人よりうまいと思う。最低限自分よりは絶対うまい、そして日本のタクシーに乗ったときよりは全然急停車などもなく快適に乗れた。
私的な空間/一人になれる空間は珍しい
そしてやはり人がいないというプライベート空間になるっていうのが、外でできるところはない。家でさえ例えば家族がいる時点で完全にプライベートな空間はない。この現代社会において、密閉空間で一人になれたりっていうのはなかなかないように感じている。
今回は2人で利用したが、この都会のなかで初めてプライベートな空間が生まれた感じがある。レストランの個室も、ミーティングルームも一人になれるかもしれないが、密閉されているわけではない。もちろんこの自動運転にも監視カメラはついているはずで、本当のパーソナルなスペースではないが、自分の車をもってない自分からするとその私的空間が外の世界で誕生するかもしれないことを心待ちにしている。
スタンフォード大学:エコシステムが25週ぐらいしている
最後にスタンフォード大学の授業やイベントにも、友人の熊平さんに誘っていただき参加をしてきたが、まあ当たり前だが、エコシステムの成熟具合に驚いた。
US賛美みたいなのはまあ日本にとってはもうこすられすぎたネタであるとおもうから、そこまでこれ以上書きたくはないが、スタンフォード大学の単に1授業なのに、ひたすらいろんなVCからシリアルアントレプレナーから、ファミリーオフィスの2世など含めた多様性(もちろん女性が半数以上いた気がする)がまあ進んでいる。当たり前だけどまざまざと見たのは良い経験だったなと思う。
また熊平くんに案内されて、スタンフォード大学とかを見て回っていたが、まず本当に環境がいいなと、周りに自然があるのは東京にいるとなかなか味わえない感覚。このスタンフォードと景色、気候がある限りシリコンバレーという地域はとりあえず100年後も技術の一つの中心地でありつづけるような気がしている。
Podcast:起業よもやま話
今回そこで、一旦熊平くんと雑談したPodcastを置いておく。結構面白い談義ができた気がする。起業のことやら、チームづくりやら、内向性的なことまでいろいろ話した。上のYouTubeでも、こちらから聞けるし、下記でも音源をおいておく。
上記の場所の外で録音したが、やっぱり自然とかある場所は最高に気持ちがいいなと改めて思う。内容をChatGPTに要約してもらうと下記みたいなことを話してます。書き起こしつくりたいけど、ちょっと時間がないが、時間できたらやります。
企業家の仮説検証プロセス:ダイナミックに変化する仮説と検証
企業家は固定観念に囚われない柔軟な仮説検証が必要。
市場の動向や新たな情報に応じて、仮説と検証のポイントを動的に変える。
「仮説検証のダイナミクス」とは何か、その対応方法を探る。
チームのフィット感:成功する企業の秘密
成功する企業には活き活きとしたチームが存在する。
チームフィットの重要性と最適なチーム構築の方法を解説。
市場に接する最前線に立つチームがPMFを達成するための重要性。
ファウンダーの真の役割:旗を立て、道を示す
創業期のファウンダーの役割は、適切な旗を立て、チームを導くこと。
ファウンダーが旗を立てなければ、チームは方向を見失う。
ファウンダーが人を集め、企業を成功に導くプロセスを説明。
自己成長と学習スピード:企業家の成功の鍵
企業家の成長が企業の成功に直結。
学習スピードの最大化が重要であり、自己評価と自己成長を常に意識する必要。
コーファウンダーの存在がファウンダーの成長を促進する役割。
相対化と絶対化のバランス:企業運営の秘訣
企業運営には相対化と絶対化のバランスが不可欠。
自分の考えを相対化しつつ、他者の視点を取り入れることの重要性。
方向性を見失わないための絶対化の重要性について議論。
Co-founderの重要性:成長を促すパートナーシップ
Co-founderは企業家の成長に不可欠。
Co-founderの意見を聞くことで自分の成長を促進。
Co-founderが企業家の決断力や方向性をサポートする方法。
メディアと表現:自己を発信するリスクと喜び
自己表現は企業家にとって重要だが、リスクも伴う。
メディアを通じた自己発信で得られる満足感と評価の重要性。
自己の考えを表現し続けることが成長と成功にどう繋がるか。
内向きのエネルギーと想像性:創造的プロセスの本質
内向きのエネルギーは想像性に繋がる。
自己を肯定しながらクリエイティブであることの重要性。
表現することで得られる自己満足と成長のバランスについて探る。
Books:テクノリバタリアン
前回の記事を書く際に非常に参考になった本。シリコンバレーをとりまく哲学や思想っぽさについて体系的にまとまっている本としては一読の価値がある。時代を創っていく人達にはなんの時代、どういう未来を創ろうかということが決まってないとやれないことがある。それをここに登場している全員は各々に信条があり、それを達成するために、事業を行っているんだなということは読んでいると改めて思う。
なんとなくだがAIが進めば進むほど、人の思想や哲学などが大事になってくる時代感な気がしており、このあたりの議論というのは日本でも進めていかないといけない気がしている。なんとなくアメリカがつくりたい世界への乗っかりになってしまっていくと、日本なりのスタートアップや新しい企業なんて出ない気がしている。そういった未来・時代を考えたいというとかっこつけすぎだが、それを今後も考えたいと思っている。
誰もが、自由で平等で共同体の絆のある功利的な(効用を最大化する)社会で暮らしたいと願うだろうが、これは机上の空論で原理的に実現不可能だ。
知識社会に適応できるかどうかには生得的な個人差があるから、自由な市場で競争すれば富は一部の「遺伝的に恵まれた者」に集中し、必然的に格差が広がっていく。それを平等にしようとすれば、国家が徴税などの暴力”によって市場に介入するしかない。自由を犠牲にしない平等(平等を犠牲にしない自由)はあり得ない。