多元的未来を体感する特別講座
Pluralityという言葉を聞いたことはあるだろうか。多元主義などの言葉に翻訳などはされるようなものだ。X上でたまに見かけていたこの概念について興味はあったし、少し調べたこともあった。薄く興味はあったが、なかなか深惚れるタイミングがなかったが今回たまたまXを見ていたらWiredがイベントで、多元的未来を体感する特別講座:WIRED UNIVERSITY × Miraikaというのが流れてきて、ちょうどその時間あいているからぜひ聞きたいとおもい申し込んでみた。今回はその参加レポートのような記事となる。
今回の参加はモデレーターのWiredの松島 倫明さんをはじめとして、アメリカの経済学者のGlen wely・台湾のデジタル大臣である Audrey Tang、なめらかな社会とその敵の作者でありスマートニュースの代表取締役会長である鈴木健さん、日本科学未来館の小沢さんと豪華メンバーであったことも参加をしたくなったきっかけである。
テクノロジーラバー・自発的なコーポレーション・反権威主義
非常に面白いディスカッションであったし、そこに参加していた大学生や自分より若い人が意欲高く質問していて、未来が明るく見えた。
また個人的にディスカッションを聞いていて感じたことは、テクノロジーが非常に好きである同時にテクノロジーの危うさも憂いていたこと、テクノロジーを道具として上手く活用して、自発性を促し、エリート主義・権威主義に社会が陥らないための熟議であり民主主義をどう保つかみたいなことが関心として強いのだなと感じた。
それを各人がGlenだと新しい社会制度を数学的につくるRadicalxchange(私有財産制、Quadratic votingなど)というやり方や、AuderyのPluralityという概念や、鈴木健さんのなめらかな社会などという概念のもと、異なるようで同じことを考えながら上記の関心についてディスカッションをしていたように思える。
各論については後述していきたい。
テクノロジーは重要・好きだが、取り扱い注意
議論の中でGlenなどが科学未来館の展示の仕方について非常に気に入っていて、すごい褒めていた。あれだけテクノロジーをわかりやすくしたものはない的な感じで褒めていたのを覚えている。
確かに科学未来館の展示はテクノロジーを上手く可視化してくれている。インターネットの仕組みなどは自分も初めて見たとき驚いたし、他の展示などもテクノロジーをわかりやすく体現ができるようになっている。
そういったテクノロジーに対しては登壇者全員好きなんだなあというのが伝わってきた。一方で、その道具としてのテクノロジーの使い方に関しては警笛をならしていた。
自発性を促すテクノロジーと、自発性を妨げるテクノロジー
アメリカのデモクラシーの著書などで知られるトクヴィルは、「民主主義の本質は、市民自ら問題解決に当たることで当事者意識を持つことにある」ということを話しており、また今回の議論の中でも、ジョン・デューイの「自発的に世界を変えられるという意識がないと、エリート主義に陥ってしまう」のようなものが会話の中で引用されていた。
民主主義と自発性というのは、密接に絡んでいる。選挙に行くという行為でさえ自発性に依存している。そのためテクノロジーも使い方によっては自発性を促すこともできるし、逆に自発性を奪ってしまう可能性もある。
AGIのようなものに関しても危惧はこのあたりにあるように議論を経て感じている。AIは使うものであって、AIに使われるようになってしまってはいけない。ただ完全なAGIができてしまうと、AIに使われる未来ができてしまうかもしれない。それを危惧しているように思えた。そのためオードリーは、AGIのことを権威主義的になりえるものであるかもしれないと話していた。
反エリート主義・反権威主義/テクノクラートの台頭
議論を聞いていると一貫して権威主義や、エリート主義のようなものに関して警戒をしているような印象をもった。もちろんそこには台湾に対する中国的な態度などの影響などもあるとはおもうが、民主主義という根底を覆すことに繋がっていくためである。
一方資本主義・ネオリベラリズムというのは格差を助長していく側面がある。そうしたものとテクノロジーが結びつくと独占的な企業や権威的な企業がでてきてしまったのがこの10年であったし、その問題点(ケンブリッジ・アナリティカ問題)が多く露出したことも露呈した。これは近年テクノクラートのような考え方が主流になってきていることも関係しているのではないかとも思う。
テクノクラートという言葉はサン=シモン主義が源流で、”科学技術や専門知識を活用して政策や行政を行うこと”のような文脈だったが、これが拡大解釈されているような気がしている。民意というよりは、科学的な正しさをもとに推し進めていくような考え方をもつもの全体をテクノクラートと呼んでいる気が自分はしている。
その中にはシリコンバレーの起業家もいるだろうし、VCもそれにあたるのかもしれない。もっと拡大解釈するとニック・ランドが言う権威主義的資本主義(中国など)のような国家単位の政策方針のこともテクノクラート的と言えるのかも知れない。そういった流れはあるであろう。AIに関する議論、少し前に書いたe/acc vs EA みたいなところも、同様のアナロジーで見てとれることもあるだろう。
そのためこのあたりの文脈に対しての危機感からの、web3.0的な思想や、リバタリアン的な思想と結びつきCryptoとPulurarityみたいな、多元的なものをどう保てるのかについての議論がいま出現してきていることを今回のイベントの対話を通じてでも再理解した。
複雑な社会に対する向き合い方:パラドックスを認める
一方で危機感を覚えてはいるが、なにかを単純化して対立構造にしないことは大事にしているように議論を通して思えた。それは鈴木建さんの、”複雑な世界を複雑なまま捉えることができないのか”のような課題意識にも近い。
二項対立などはわかりやすい、見ていてシンプルだからだ。どっちかが正しくてどちらかが正しくない。しかし大抵のことは絶対的に正しいとか、絶対的な基準というものはない。単純化というのは全体主義につながりやすいし、権威主義をより強固なものにしてしまう。それを止めないといけないことは理解しうる。
一方個人的には、完全な民主主義というのもなかなか難しい仕組みだとも思っている。だからこそテクノロジーの力や、テクノクラート的な発想も重要だと思う。つまり曖昧さ、議論ででてきた言葉をつかうと”Good enough”なバランスを社会も考えないといけないのだと改めて思う。
それをす鈴木建さんは、フラットな社会においては多様性がなくなってしまうからこそなめらかな社会を目指すべきだということを提言しているし、オードーリーの場合はその概念をPluralityという言葉で表し、Glenの場合はQuodratic votingなどでうまく民主主義をアップデートしようとしている。
コラボレーションが必要、オートメーションではない
確かオードリーだったとはおもうが、オートメーションではなくコラボレーションが必要だみたいなことをどこかのタイミングで話しており、そういったコラボレーションの機会、連帯の機会ということを社会などでつくっていけるかどうかというのは重要なのだと改めて思った。
そのための手段としての対話であったり、ナラティヴであったりするのは自分もここ最近のテーマとして考えていたものであったが、そういったところに風向きがあるような気がしている。テクノロジーもそういったものに活用されるべきだなとおもいつつ、いまのXの状態などを見るとSNSとよばれるものは結構もう難しいのではないかとも正直思う。
分断を助長するためのテクノロジーなどではなくて、連帯を助長するためのテクノロジーであり解決方法みたいなものは、投資分野としても興味あるし、社会に求められているとは思うと同時に、ネオリベ的な精神においては分断が助長されるだけの社会に今後はなっていってしまうのではないかと感じてしまう自分も正直いる。このあたりは考えつづけなければならない。
形式だけ輸入しても無駄
イベントの際でも鈴木建さんなどが話していたが、こういった概念みたいなものを単に輸入し、形式化してチェックするのは意味がないということを話していた。そうするとその形式を守ることで満足してしまうという話。自分も賛成している。
最近自分もXのbioを更新したが、日本流グローバルなどの言葉のように、輸入された言葉ではなく、自分たちの言葉で日本からの挑戦について考えないといけないことは多くあるのではないかと思っている。それは今回のようなPluralityという概念もそうだし、もっというとVCという仕事も捉え直さないといけないかもしれないと日々感じている。
これは決してナショナリズムを強くしたいという意図ではなく(反作用としてあるかもだが)決められた事例主義ではないもので、なにか思想や考え方をもっと日本国内からもだしていかないといけないんだろうなと思っている。ただ独りよがりになってはいけないので、そのバランスは難しいとは思うが。。
今回の企画もなめらかな社会という概念は、10年ほど前からあったが、ここでオードリーがPluralityという言葉をつかって、改めて表現したように時代性のあるベクトルにおいて、同じような表現だが日本社会や目の前のことを捉えた表現を自分ももっと考えていきたいし、それは起業や投資にも通じるものがあると自分は思っている。
聞いてみたかった質問:VCの存在とPlurality
最後にイベントにおいて、質問タイムがあったのだが手をあげていたがあてられなかったので、質問したかった質問を書いてみたい。
自分の仕事柄、登壇されている方々にベンチャーキャピタルの存在っていうのをどう捉えているのか聞いてみたかった。
どちらかというとこの仕事は独占などをしていこう、利益をうもう、成長しようというイデオロギーであることは間違いない。それはPluralityというよりはSingularity的な性格だろうなと自覚している。
しかし一方で社会にテクノロジーや新しい概念・サービスなどを普及させていくための役割としても大事な役割を担っているときもあるのではないかとも思っている。そういったベンチャーキャピタルの存在をどのように考えているのだろうか?というのは職業がらもあるが聞いてみたかった。
いつかもし聞ける機会がでてきたときにはチャレンジしてみたい。
久しぶりにこのような勉強会?というか講演会?に参加してみたがいろいろ思考の刺激となり非常にすばらしいイベントだった。開催していただいたWiredさんや、科学未来館さんありがとうございました。
積読になっていた本をザク読み。前作の良い戦略、悪い戦略が結構個人的には名著だったので期待して読んだ。まあ結論前作のほうが良かった気もするが、改めて戦略とはなにかということを考え直すのには良い本だった気がする。
結論一貫して著者としては戦略というのを高度な目標とかそういうのではなく、戦略というのは行動指針であり、実践的なものであるということを読めば読むほど伝えたいのだなということがわかる。
日々自分もスタートアップへの投資の仕事を考えるときに、特にシード期の投資においては戦略よりもとりあえず実践、なんの課題をどういう価値提供で解くのか?をまずは見つけようみたいな具合が多いが、ラウンドが進むたびにどういう戦略でやるのか?というのは常に問われる。
資金調達というのはある種その戦略を考えるイニシエーション的なものとしてはよくできているのかもしれない。市場を独占できる、マーケットに対して急成長できる戦略はあるのか?というのを起業家はもしVCのようなところから資金調達するならば、レイターになればなるほど問われることとなる。
そのときに大事なのはこの本書の言葉を借りるならば、遠い未来の情熱やビジョンなどに逃げず目の前の課題・困難に対して取り組むことである。つまり我々は今なにをすべきかという問いに答えをだす。目標が先ではなく、戦略を立てた結果目標がでてくる。
書きながら自分も日々の活動を振り返りながら、曖昧な行動になっているときも多いので戦略というものを見直すタイミングが日々の忙しさで失わわれているときもあるので気をつけたい。
ぜひそういった意味で日々の意思決定の振り返りの意味においても一読の価値はある本だとはおもうので、興味あるかたはぜひ。
資金調達相談・お茶相談などはこちら:https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf0KjGJhSfoSiRKbLOjV2HMubOt_SVAJMxdJ9CTWruyIes8pg/viewform
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