今年は週1で書くぞっておもいながら、だいたい空いても隔週ぐらいで書いてきたのだけれども、最近書けてなかった。一つはちょっと仕事関係がバタバタしていたこともある。またいろいろ書きたいことは出て来たりしたんだけど、どうやって一つの長文としてまとめようかということを考えていたら時間が過ぎ去ってしまった。
意地でも1ヶ月以上はあけないぞ!という気持ちで書いてみたw
なので今回は最近の日々や考えていることについて、雑記のような形式でメルマガのみの更新にしようと思う。(いつもはnoteやnewspicksに転載したりしているのだが。。)
Diniiの資金調達
最近海外のToptierのファンドから調達して、noteなどでいろいろ情報発信をしているdiniiはもう6年前に200万円のエンジェルラウンドからの投資の付き合いである。そのご4回投資をして、今のラウンドに至っている。小学生が中学生になるぐらいの期間はもういろいろみて来たと思うと感慨深い。
一連の調達からのリリースは採用のためというものの刺激的なものも多い。ただ今回の調達が日本のVC・スタートアップに及ぼす影響は高いように感じる。自分も最初このラウンドの相談を受けた時、海外VC調達しかないよねっていうように希望のValuationを聞いた時に話した記憶がある。最近自分も反省ではあるが、日本のVCは値付け力が弱い。しかしこれは強みでもあるバブルによって値が高騰しすぎることもないっていうのはある。それでもシード調達ラウンドが多い自分も値付け力っていうのはなかなか上がりづらい。
ただその中でも過去の追加投資のラウンドの時に社内のGPからはなんでこの値付けなのか?というときにユニコーンになればこのあたりのValuationなんて誤差でしょ?みたいな話をした記憶もある。恐縮だが全ての投資先にそう思えることではない。そういった良きバイアスというものが値付け力を上げるのかもしれない。(一方そうやって多く失敗もしているので、一概には判断が難しい)
Diniiのラウンドや、後述するKyleなどと話をしたりする中でVCの差を感じることは多々ある。能力の差もあるが、正直エコシステムの違いという構造上の違いも多いけど気がしている。本当の意味でのパワーローの法則が効いているところとそれがまだ結果としては多く出ていない日本のエコシステム。そういった違いはあるもののそれでもやはり胆力・データ構築力・ファイナンス力、なかなか背中は遠い。
かといって日本はダメだ、US最高みたいな論調をしたいわけではない。一番ダメなのは自分で考えないことだ。USを単純にモノマネするだけでもなく、追いつけないから日本はダメだというような状態では一生背中を見るだけである。なので自分は日本のVCでまだいれるなら日本なりのスタートアップ観というのは磨いていかないといけないなと思えた。その中でいろんなオプションがあることが大事なのではないかと感じている。
話が逸れてしまった。まあとにかく山田真央という狂気性が世間にばれ始めている。初期から彼には驚かされることも多い。彼から学んでいることは自分が考えることは現場で集めてくるファクトに対しては基本的には勝てないということ。本当に事業を伸ばす、プロダクトをつくることをずっと考えている。そのために登り方というのは今はだいぶ決まっているが、初期は1ヶ月ごとにファクトを元に修正していっていった。あれ?いっていること全然変わってるやん!と何度思ったことか(ミッションとか実現したい未来はPivotはしたことないと思うが)
そんな時は大体その方針があっていて、自分とのディスカッションは特に何か良いものを与えられたか自信はいまだにない。まあとにかく今後もああやって自分とDiniiを追い込みながらやり続けるのであろう。それを近くで見れていて光栄である。
と言いつつ別にIPOでも何もしてないので、こういうふうな感想みたいなの書くのも嫌だなって思いながらまあメルマガで流すぐらいならいいかと思って書いている。まだまだDiniiもスタートである。真央がXで返信あったようにまだ山にも登っていないらしい。。ただ構想を聞くと確かにまだまだやれることが多くあり、Diniiが目指す山は非常に高そうだ。
あとkyleの紹介で自分のアテンションをとるのは正直本懐ではないし、どちらかというと他人のふんどしで注目を浴びてしまっているような、情けない気持ちにはなる。。が、彼がアテンションを得てより日本から大きなスタートアップが出るきっかけの小さな一つになればいいなと思っているので残しておくことにする。良い人は評価されるべきだし、フックアップされるべき。
シード投資と結果
今回のDiniiもそうだが、1ヶ月違いで6年前に投資したのがLuupなどである。日常でふとした瞬間にLuupの機体が街を走っていたり、自分がたまたま入った飲食店などでdiniiが使われているとこの仕事でなかなか感じることがないやりがいというか、なんというか雑な言葉を使うとエモい気持ちにはなる。
しかしまだまだこの2社とも市場に浸透し始めて行っている途中であり、スタートである。このぐらいやはりシード投資というのは長い。そして結果というとまだまだこの2社も成長途中である。(そういう意味において結果というのはVCにとってEXITという形であるだけで、企業や社会から見た時には会ってないようなものかもしれない)
最近投資した投資先や他にも自分の担当でも伸びているものは多くある。それでもより社会に浸透していくのは時間がある程度やはりかかるものであると思う。投資という仕事で特にシードなどを見る場合には時間軸というのは短期では何も起きないし、自分のメンタリティとしてもルーレットを回すというよりは石油や温泉を掘るような感じである。追加投資を入れながら、気長に気分の浮き沈みをなるべく無くして待つという感じ。この仕事はそういうものだというのを改めて経験する。
投資は面白いと思えたらまずいのかもしれない。短期的な当たったはずれたとかではないメンタリティ・メンタルモデルみたいなのをどうセットしていくかみたいなのが重要な気がしている。なのでこの仕事にむくむかないは多少はある気はした。ただそれも後天的に学ぶこともできる。自分はどちらかというと後天的に学んでいるタイプだという自覚はある。
おそらく元来の性格で言うと、自分は向かない可能性はある。事業家気質というと聞こえがいいが、せっかちかつ自分で変数をコントロールしたいという欲求があるからだ。四半期ごとに目標を達成したいという欲求がある。しかし、7年弱ほどこういったキャリアを歩んできたことによって、だいぶ矯正された感覚はある。
欲しいという気持ち / 令和の時代の欲望の創り方
これは最近会う人には話をしていることだけど、”欲しい"という気持ちって重要だなと思っている。これは結構年齢とともに低下していく可能性がある才能・能力であるように感じる。
合理性という判断軸をなるべく外していきたいということを最近は考えている。タイパ・コスパ思考からの脱却の先に新たな市場があるし、そういった領域においてはUS含めた覇権国家に領域として勝ちづらさもあるのではないかと感じている。
例えば日常レベルの意思決定にすると、数年前まで服なんて自分は全てユニクロでいいだろうみたいな意見をもっていた。それは悪いわけではないが、そうすると何かを欲しいという気持ちが薄れてくる。なのでハイブランドの服などを試しに買ってみたりしたら、自分の好き嫌いがファッションという鏡や思想を通して洗練化された感覚になり、自分にとっては非常に良い体験だった。(そういうのをファッションが好きな人はもっと若い頃からやっているはずで、お前今更何を言ってるんや?という話かもしれないが)
この欲しいというものがあんまり最近ないのではないかと思ったりしている、体験消費という言葉もあるが、そういった言い訳でもなく純粋にこれのためにお金貯めているというのがもっとある方が市場創造ができるのではないかと考えている。例えばNOTAHOTELとかはそういうものをつくっている感じもあるし、LUUPなどもそういう節はある。何かをしたいという欲っていうのはピュアに大事にした方がいい。そういったものから次のユニコーンや大きな市場がある気がしている。Vtuber マーケットとかもそういう欲を掴んでいる気がする。
一方推しマーケットっていうのは健全に何か欲しいというものがない世の中において市場規模が拡大している節もあるのではないかとも思う。もっと人が欲しいものを作っていくこと、そしてそれは合理ではないもの。そういったものを日本のスタートアップから作っていくことっていうのはチャレンジしたいテーマではある。
そのためにまたしょうもない話に戻るが、車を購入したいと思って車の運転の練習をしている。この歳になって運転をし始めるのって結構恥ずかしい感もあるが、東京にいて子供がいなければ自動車を保有しないのは非常に合理的な選択肢である。いまだに左脳では別にいらないだろう思っている。でも実は何かそこにはあるのではないかということも考えて運転の練習から始めている。
まあ一方で広告に踊らされて欲しいものを創る時代が良かったのかっていうのはある。ただそれは平成の時代の欲望の作り方だったように思える。令和の時代において、D2Cという言葉があるように、広告費を払わなくても良いプロダクトであれば広まっていく可能性がある。SNSというものがよくも悪くもインフラ化した今において新しい需要の作り方はよりピュアになっていく可能性もある(ただよりポピュリズムっぽい消費需要の作り方にもなる可能性がある)
そういった健全な欲求を捉えるためにも最近は自分で欲しいとおもう感情を大事にしようと思っている。そんな話。
最近小説をaudibleで聞くのにハマっている。一旦ミーハーとして最近の直木賞と芥川賞で音声できけるものから聞いていっている。なにかオススメの小説あれば教えて下さい。小説からは結構遠ざかっていたけれども、いざ読み/聞き始めてみるとおもしろい。
5-6冊読み、聞きしたけどいまのところのこの本が一番心には刺さった。感動物語であり伏線回収系であり、ミステリーでもあり、、江戸時代の設定が最初はいりにくかったけど、読み進めていけばいくほど刺さるものあり、、泣いた。
読み進めるごとにちょっとずつ謎がわかっていき、より登場人物一人一人に感情移入してしまう。こういった話を読むたびに思うのは、江戸時代の文化はいかに特徴的であったかということだ。今は世界中で同じような職業が同じような名前が付けられている。しかし江戸時代の日本の仕事には本当に多様な仕事があったことがこういった小説を読むと改めて思う。鎖国していたからかもしれないが、そういった煮詰めたものには日本なりの特徴を感じたりする。