はじめに:なぜ人文奨学金を始めるのか
今回、ANRIから自分がプロジェクトオーナーとして、人文系の研究を支援する奨学金を立ち上げることにした。ANRIはこれまで7年ほど、基礎科学研究への奨学金や投資を続けてきたが、あえて人文という領域へもサポートを広げようと思ったのは、今の時代に“遠回り”をする余白が必要だと感じているからだ。
自分自身は大学を学部卒で出ただけで、専門的に人文系の研究をしてきたわけではない。そんな人間が、なぜベンチャーキャピタル(VC)という立場で、人文知という領域に注目するのか。いわば少しまとまりのない文章になるかもしれないが、ここに言葉としてまとめてみたい。
応募フォーム:https://forms.gle/eE9prH3Vo8h8bTvcA
時代の変化点──揺らぐ理想
VCとして働いていると、どうしても未来のことを考える。どんな世界が来るのか、どんな変化が起こるのか、それを創ろうとする起業家に投資し、リターンを得るのが仕事だ。今まではインターネットが世界をフラットにし、”テクノロジーがあらゆる課題を解決していき、世の中を良い方向性に導いてくれる”、というカリフォルニアイデオロギー的な思想を無意識に信奉していたし、実際それが社会を大きく変えてきた。テクノロジーへの楽観主義、リバタリアニズム、ヒッピー文化由来のカウンターカルチャーといった価値観が広がっていけば、人々の連帯感も高まるはずだ……そう考えていた。
しかし、現代においてはどうだろう。グローバル化の停滞や保護主義への回帰を象徴する出来事(たとえばトランプ政権の政策、コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻など)が相次ぎ、“あのころ”信じていた理想が揺らいでいるのを感じる。OpenAIにおける内紛で盛り上がった(e/acc vs EA)のような議論も記憶に新しい。
世界がひとつになるどころか、むしろ分断や対立が先鋭化している。歴史の終わりなんてものはどこにもなく、新しい歴史が否応なく始まっている。
自分は1991年、つまりソ連が崩壊した時期にこの世界に生まれ落ちた。あらかた秩序が固まったあとの時代しか知らなかったが、最近はその秩序すら変調をきたしているように感じられる。
資本主義の成熟とネオリベラリズムの広がり、インターネットテクノロジーの進化が組み合わさった「ファスト化」した社会は、善悪二元論や短絡的なジャッジを助長しているようにも思える。テクノロジーと資本主義が育む豊かさを、自分も恩恵として享受しているけれど、一方でどうにも引っかかる違和感がある。
ネオリベとファスト化──効率化だけでは測れないもの
インターネットが普及し、情報が無限に発信・受信できるようになったなかで、自分達は何を求めているのか。SNSではスナックコンテンツが氾濫し、コスパ・タイパを重視したファストな教養が人気を集めている。なるべく短時間で成果を出し、効率よく儲かる情報に飛びつく。この流れ自体を否定したいわけではない。実際、自分もそうした方法論に救われる場面は数多くあるし、求めていることも多くある。
だけど、物事をシンプルにしすぎると、どうしても“こぼれ落ちるもの”が出てくるのではないかと感じる。たとえば、哲学者の國分功一郎氏の『目的への抵抗』にあるように、「目的をはみ出すことを許さない社会」では、人はチェスのためにチェスをすることさえ難しくなる。常に成果やメリットを求められる風土では、問いを深めることや寄り道することが奪われてしまう。
そして、そのファスト化された構造がアテンションエコノミーを生み出し、社会全体の“ノリ”がどんどん加速していく。
極端な意見や炎上でしか注目を集められないような場面に、疲弊しつつも巻き込まれてはいないだろうか。それは、かつて夢見た「インターネットが世界を自由に、フラットにしてくれる」という理想とは、ずいぶん違う姿に思える。こうした状況に対して、「そもそも人間はどういうものなのか?」「社会/連帯ってなんのためにあるものだったのか?」と立ち止まって考える契機が必要なのではないかと、強く思う。
遠回りする力
そうして振り返ってみると、ある種の“遠回り”の価値を信じるようになった。成果を急がず、役に立つかどうか分からない問いを立て続ける営みのなかにこそ、未来の種があるのではないかと思うようになった。とりわけ人文知と呼ばれる分野──哲学や文学、歴史、文化人類学などといった分野には、効率化社会からこぼれ落ちる問いを受け止める力があるように感じている。
AIが急速に進化し、膨大なデータを瞬時に分析して答えを返してくれる時代。そこでは「何を問うか?」がますます重要になる。問いを生み出すのは、人間の役割だと思うし、その問いのヒントは、人文の深いところに眠っているのではないか。
既存の常識を疑い、歴史の中の繰り返しや文化の複雑さを見つめることが、単純なハウツーには変換できない“違和感”を守ってくれる。そういう“疑問を抱き続ける態度”を、社会として失っていくことは残酷さがある未来を引き寄せてしまいそうで怖い。
千葉雅也氏の『勉強の哲学』に「勉強は、むしろ損をすることだと思ってほしい。勉強とは、かつてノッていた自分をわざと破壊する、自己破壊。勉強とは、わざとノリが悪い人になること。」という文章がある。まさに勉強していくこと/立ち止まって考え遠回りすることは、そういったノリの悪いことを伸ばしていくことになる。そのような疑いを社会に向き続けないと全体主義的なノリが蔓延し、残酷さを繰り返してしまう。
ベンチャーキャピタルが人文に奨学金を出す理由
VCとしての自分が、その“疑問”や“遠回り”を社会に取り戻すためにできることは何だろうとずっと考えていたとき、「基礎研究に対してANRIとして奨学金を出しているけど、人文系分野でもやってみたらどうだろう?」という声が同僚からあがってきた。その時に、奨学金という形であればそういった疑問・遠回りについて考えている、若い人文の研究者を応援できるのではと考えた。もちろん、これが一大ムーブメントを起こすわけではないし、大きなリターンがすぐに得られるわけでもない。しかし未来のことについて考えているVCとしてそういった支援をしていくことは重要なのではないかと思って動き出した。
誤解を恐れずに言うと“社会に役立たない研究”だと見なされがちな人文の世界には、無数の問いが転がっている。ここに少しでも資金を投下することで、その問いが消えないようにしたい。いつか、何かの形で社会に還元されるかもしれないし、あるいはまったく実用化されないかもしれない。それでも、“問いを消さない”ことの大切さは、この資本主義と効率化が猛スピードで回る世界では、ますます貴重になるのではないかと思う。ましてやVCとしての本業としては、資本主義と効率化を猛スピードで回していっているし、いかなければならないという責務を背負っている。だからこそその一端では、立ち止まる力についても考えることを自責としてもっておくべきなのではないかと個人的には思っている。
人間の足場を問い直す──未来へのまなざし
今回、応募フォームに「あなたの研究が未来とどう結びつくのか?」という質問を設けた。ファスト教養/目的主義を批判しながらも、「その研究がなにに紐づくのか」という目的意識の記述をお願いするのはどうなのだろうと自問したが、あえてこのような設問をいれさせていただいた。
そもそも、Gartnerのハイプ・サイクルのように未来が決まるわけではないはずだ。人間はいかなる存在か? 技術や市場の変化を社会はどのように受け止めるか? 自らの足場を深く問い直す人文系の学問ならではの知見があってこそ、未来をつくることができるのではないだろうか。そしてなにより、次の世代の人文研究者の方々が思い描く未来像に、自分自身が強い興味を抱いている。
これまで長く書いてきてしまったが、この文章でピンときた方や、周りでもしかして奨学金の対象者として思い当たる人がいたらぜひ応募して/応募を促していただければ幸いである。こういう新たな試みの1回目というのはたいていリーチ力がなく、届かず終わってしまうのがもったいなと思っている。自分は大学院卒でもなければ、もう大学を卒業して10年以上経っているので対象者が周りに少ない気がしている。こういった文章でもし対象者の方まで届く一助になれば嬉しい。
詳しい内容は、こちらのプレスリリースや、こちらのHPなどで詳しく書いてあるので参照してほしい。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000060.000040191.html
https://anrivc.notion.site/ANRI-1d509d749d7980ab8902da1091883e4a
この文章を書くのは結構苦戦したが、自分のなかでモヤモヤとして考えたこととなんとなく人文が大事なのでは?と言語化できてないものが、上手く言語化ができたような気がする。
ファストにまみれたなかで、もちろんそれにいちいち抗っていては疲れる。しかしそういった抗っている人やそういうことに問いをたてる人を支えないとどこかで社会は全体として不幸に陥る。
不幸とはなんなのか?これも難しい話だが、リチャード・ローティのリベラルの定義を借りると、”残酷さを防ぐこと”が大事だと思う。残酷さを社会に浸透させないように自分はしたい。
個々に書いたネオリベっぽい風潮に対しての対応策というものはいろんな先人がいろんなことを書いてきたが、これは本当に厄介で、どこかでもう少しこのことも考えたいなとおもっている。しかしそういった風土が世界全体を覆っていく感じのなかでのトランプの保守主義など含めたニュースをみていると、危機感を感じざるをえない。
こういった奨学金でどうにかなるわけでもないとはおもうが、そういった活動を支援したいし、自分もこういう方々と話たりして常に問いをアップデートしていきたいなとおもう。
ぜひこのメルマガの読者の皆様はこういったテーマに少しでも興味関心がある人たちな気がしており、周りに研究者などいましたらぜひ勧めていただければ非常に嬉しい。よろしくお願いします。