#09それでも景気は廻っている
それでも景気は廻っている
ここのところのニュースは結構不穏なものが多いですね、特にこの業界で生きている人にとっては景気感が調整入っているのは明らかに感じているので、今までのゲームと今後異なってくる感覚があります。マザーズの株価をみてもだいぶ下がってきていて今日時点ではメルカリ、フリー、ビジョナルの3社しかユニコーンの企業がいない状態です(2022年5月30日)
市場がどうかとかそういうことは正直専門家ではないかつ、誰にも読めないのですがアメリカの金利が上がっていくことは間違いない方針なので、今後調整局面に入っていくのは確かじゃないかなと思います。(DCFがValuationの基本とした場合調整される=基本的にはキャッシュを生み出す力と割引率で企業価値が決まってくると過程した場合、スタートアップの多くは現在の足元のキャッシュを生み出す力ではなく、比較的長期のキャッシュを生み出すことを前提にValuationを捉えるというのは一般的な考え方のはず。その場合金利が上がると割引率が上がるので現在価値は低くなる。つまり基本的には時価総額はつきずらくなるはず・・間違ってたらすみません)
それが今後資金調達の世界にどう落ちてくるかとかはいろんな情報がTwitterなどにも議論されているので見てほしいなと思いつつ(DCMの原さんのNoteや海外のセコイアの警告など)、VC含めて資金の量自体は日本にも5−10年前に比べてはあるので、結論起業家もVCも事業にフォーカス・良いトラクションがでれば変わらず資金調達はできる!っていう結論にはなるかなと個人的には思います。DXの流れやWeb3含めて大きな変革は日々現場で起きているのは実感があるので、スタートアップという大きな流れは止まらないし、止めてはいけないという感覚はあります。
ただそれだけだと、無責任すぎる気もするので考えていることをいくつか備忘録も兼ねてどういうことが起こるか書いておこうかなと思います
結論から言うと、”シードのValuationと調達金額が上がる一方、シリーズAの扉は重くなる”と考えています。
散々Valuationが下がっていることを書きながらなぜValuationが上がるんだ!?っていうことを書いてしまいましたが、上がるといっても極端にあがるわけではないです。数億円ほどしか変わらないとはおもいますが、Valuationの問題ではなく、調達金額が上がるためそれに引きずられてそちらも上がるのではという説です。
なぜ調達金額が上がるかというと、1つはシードVCの増加とアーリーよりのVCもシードから投資を試みることが多くなるはずだからです。マーケットはつながっているといえど、シードは現在のマーケットで評価されるのにはまだまだ早い段階。その場合はむしろシードはチャンスが転がっている可能性が高いし攻め時!となることが多いからです(海外でもa16zが大きなシードファンドを始めたり、セコイアがシードプログラムを始めたりしてます)そうすると自ずと金額を集められることになる。ただ希薄化としては10−20%ほどに留めておきたいというセオリーが働くとすると、Valuationが調整されるはずです
もう1つの理由がアーリーよりの見方がより厳しくなってくるから、きちんとしたトラクションを証明できるほどの結果を残さないと、投資がなかなか集まらなくなってくるのではないかと考えてます。
上場に近づけば近づくほど、今の調整の影響を受けてしまうのでアーリーをきちんとValuation上げて行うためにはもちろん将来の事業計画の蓋然性などいろいろありますが、それではないプレミアムをどう表現するかということになってくると思います。そのプレミアムっていうのは低すぎるChurnrateなのかもしれないですし、資本効率の良い伸ばし方の発明なのかもしれないですが、何かしら驚きがある数字・成果を求めるようになります。それを調達ですぐに見つけることができたら素晴らしいなと思いつつ、自分の経験則的には事業を継続していく中でその角度を見つけるしかないのかなと思っており、その猶予期間は長くとったほうがいい。できれば30ヶ月以上のRunwayは確保しておいた法が良いのではないかと思ってます。そうなった場合おのずと調達金額も上がる可能性が高いのではと考えてます。
まあ何が言いたいかというと、ゼロ金利に近い世界における熱狂は終わってしまう可能性はあるが必ずスタートアップという存在は今後の変化の激しい時代より必要になってくる存在だと思うし、よりシードよりではチャンスも大きいはずなので相変わらず事業にフォーカスしていくことが必要、ただし資本効率や資本政策は見直したほうがいいっていう感じかなと思います。ANRIとしても、自分としても変わらず不確実性に向き合って投資をしていこうと思ってます。
-投資先関連です。最近はPodcastを録っていて、もちろん聞かれる数としては多くはないのですが採用やなにか道具として使ってくれるものとしては、こうした残るものを提供していくことで微力ですが投資先の力になれないかと思ってやってます。
PodcastとNFTとときどきコミュニティ
最近だしたPodcastにおいてはきちんと文字起こしをしていこうと思っており、簡易ではあるが文字起こしもしていっている。今回は投資先のPitPaがDynamicNFTをリリースしたのでインタビューしてみました。
3年前に投資させていただいたときには音声SNSだったはずが、いまやNFTを取り扱うように・・でもシード投資としてはこういう変容はすごく自分的には良いなと思ってます。元々の仮説からは遠いですが、そこでみつけたファクトと世の中のトレンドを見ながら、事業価値を変容させていくのは起業家として必要なセンスだと思います。Podcastという大きなテーマは変えずにずっとやってるからこそ見つかった参入角度だとおもっているので期待大です。
メタバースの現状を数年前から取り組んでいる2人はどう思っているのか
こちらも文字起こしです。メタバースというトレンドはこの2021年・2022年から急激に伸びてきており、昨今普通にテレビ番組のニュースを見てもメタバースの特集が行われることが多くなってきていることを実感してきております。Facebook社がMeta社に名前変更したりしたところが転換点な感もありましたが、お二人に聞く感じそうでもないようでした。2020年、やはりコロナが一つ時代を進めたもののなのだろうなと実感しました。
トレンドというものやバズワードは少し冷やかし的にも表現されることは多いとはおもいますが、個人的には幻滅期がくることは間違いないですが、それだけ現象が先にでていることの現れなので5−10年の上では起こる蓋然性が高い言葉なのかなと感じてます。
シードVCとしてはこのバズワードが来る前に投資をすることが誉れではあるなと感じているので、今後もよりまだ早いんだよなあっていうテーマを投資していこうと思います。
-ここからは個人的な話です。日々の感想文。
Chimpom展
会期ギリギリに滑り込んだけど、3回ぐらい行きたいくらいの展示だった。下記写真は入ったばかりのところの展示。会場を2階建てに無理やりしていて、そらかしこに1階には展示があり、2階には道が表現されており、そこでストリートアーティストが自由に表現していた(これは公共性をテーマにおこなってきたChimpomなりの展示の方法としてすごく良かった・自由だった)テーマにもあったが個人の行動や監視が行き過ぎていくような社会における公共性とはなにか?そういった規制やルールから身体性を開放できる場としての表現は見ていて気持ちが良いものだった。
すごく遊園地にいる気分だったけど、それは規制やルールからの解放に近い感覚だったからかもしれない。ディズニーランドにいくときに解放されている感じがするきがしているけど、それに近い。ルールが違う、街の風景も違う、ここではなにか至るところで何かが起きているみたいな感覚に近い。
あとひたすら若い人が多くて、これはインスタグラムなどの影響なのか、もしくはこういったテーマに興味がある人が多いのかなになんだろうと非常に気になった。Chimpomのエリーさんの影響も大きいのかもしれないし、通常のアートよりもより意味がわかりやすいものも多いかつ体験的ではあるので、デートなどのスポットとしても使われていたのかもしれない。どちらにせよアートの公共性であり、敷居を下げている活動はすごくコンテンポラリーな感じがあり好き。
もともとChimpomは知っていたけれども、アナーキーな感じのアーティストだなあくらいしか正直印象がなかった。自分の印象が強かったのは、自分が渋谷に行く度に通っているこの岡本太郎の明日の神話にこの下記の絵を足していたアート。これは見てわかるように福島第一原発事故のもの。それだけでも興味深いのに、この上記の船は第五福竜丸(アメリカ合衆国がビキニ環礁で行った水素爆弾実験により、多量の放射性降下物を浴びた船)であり、写真には写っていない上記は核爆発による煙であることである。つまり過去のアートを通じた核に対するメッセージに対して上塗りしていったのである。この文脈の積み重ねっていうのはいまのMix文化に近いものを感じる。
Chimpomとは都市で生まれたアートと言う感じはある。都市っていうのは非常に便利だけれども、窮屈な感じがある。すべてが守られている感じ。危ないところは入ることができないようになっているし、ルールで固められている(もちろんありがたいことだけれども)地方にいくと例えばだけど、河川などひとつとってもここから落ちたら危ないかもなっていうのが全然整備されていないところがある。そういう危険性であり解放性みたいなのは都市にいると感じにくい。公共性という概念は優しくも冷淡なもののように見えるのではないかなと思う。そのあたりをChimpomの作品を見ていると感じるものが多い。
もう会期は終わってしまったけれども、ぜひ興味があるかたは作品などをググったりしてみていただければ幸いです
哲学的な何か、あと科学とか
日本が誇る悪い制度である文理選択によって、文系を選んだ私にとって科学というのは高校2年から本格的には触っていないのが現状だ。ただ投資においてはANRIとして量子コンピューターであり、バイオでありそういった分野のプレゼンを聞くことがある。あらためてこの歳になって科学って面白いと思えることが多くなってきた。ということを薄々感じていたため、手にとって見た本だ。
(ここからは科学的な知識がない人間の読んだ感想です、間違ってらすみません)科学てっていうのはどこまでも本質を探求できていけるものだとは思っていたけど、改めてラプラスの悪魔が否定されたように、どこまで分解していっても二重スプリットの実験において量子力学という解釈の領域に入っていったことが理解できた。科学と哲学って真逆だと思っていたけど、この本を読んでより科学を深ぼっていくと哲学の領域に入っていくのか!とすごくテンションが上がった。ぜひ特に文系人間は読みやすいので読んでもらいたい
シンウルトラマン
見ました。。実はウルトラマンってあんまり見たことないんですが、それでも楽しめたけれどやはりシンゴジラほどの衝撃はなかったなと。シンゴジラで虚像vs現実っていう一大ネタバレをしているので仕方ないとは思いつつ。。ただ純粋には面白かったので、オススメ。
見た後に初代ウルトラマンとかをググるとさまざまなオマージュがありすごくその解説を読んで楽しめるので、そこまでして2度は楽しめます。ただこの初代のファンの人が見ると全然違って見えるのかな・・って思ったり。
自分が50−60歳になった時に、シンシンエヴァンゲリオンみたいモノを自分と今同世代化もっと下の人たちが監督になってオマージュしていくことなどってあり得たりするのかな?そうだとするとめちゃくちゃ感動するんだろうな〜って思いながら見ました。
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