ここのところXなどで、Obsidianなどが話題になっている。これはAIの発展により個人の情報管理方法が変わりつつあるからだ。CursorなどのAIエディタが文章作成や情報管理にも活用され始めている。
そういったツールを使い始めると、AI時代におけるPKM(Personal Knowledge Management)の変化が予感できる。大学生の頃から続けているメモの習慣を振り返りながら、この変化について考えてみたい。
メモと私
大学時代からだろうか、自分がメモを取り始めたのは。大学2年生の時、GMOの熊谷さんのメモ関連の本を読んで「メモを取ろう!」と決意した。当時はメモアプリも知らず、大学生には高価だったモレスキンを買って毎日記録していた。それは今でも手元にあり、手触り感として貴重な財産になっている。
その当時からメモを取るのは好きだった。ただそれは勉強の延長という感覚であった。中学・高校時代から自分なりのテスト対策をWordで作成していたので、その習慣の延長線上にあった。
就職後はGoogle ドキュメントに読書記録を残していたが、すぐにEvernoteが欠かせないツールとなった。日々の記録や仕事の気づきを全てEvernoteに保存していった。このころからVCとして働き始め、自分の言葉で投資仮説を「書く」という行為が本格的に始まった。
メモと生産性
どの仕事でもそうだが、VCの仕事も考える・書くという行為が比較的多い。このときにメモをどう取るかによって生産性が変わる。日々様々な情報に触れては様々な媒体でメモを取っていく。
たかがメモと言ってもやはり舐めてはいけない。個人の生産性だけでなく、組織の生産性を上げるためにも情報の整理方法が重要だ。
2014年から社会人生活が始まり、10年余りでメモの取り方や整理の仕方は進化してきた。個人的にはノートから始まり、Google ドキュメントやEvernoteを経て、数年はNotionやScrapboxを活用していた。組織においても紙の時代からデジタル化が進み、近年はスタートアップの多くがNotionで情報管理をしている。
階層を意識したメモは早すぎる?
長くメモを取ってきた経験から、階層構造を意識しながらメモを取るのは人間には早すぎるという仮説がある。Notionは階層化が得意で素晴らしい。だが「思考の速度」に追いつかない—これが実感だ。YouTubeには様々なNotionの情報整理チュートリアルがあるが、それらは自分には向いていないと感じる(もちろん性格的な部分も大きい。)
なので、iPhoneのメモアプリが人気なのも理解できる。クイックにメモを取れるので、整理は後回しにできる。ただし結局は整理という作業は避けられない。
AI時代においてのメモは記録から対話へ
2020年代に入り、AIの発展が著しくなってきた。それに伴ってメモの取り方も変わりつつある。NotionAIを始め、各種メモアプリでもAI機能が実装されている。
AI時代以前、メモは情報を「外在化」するためのツールだった。しかしAI時代のメモは「対話的」な存在へと変化する。単なる記録ではなく、思考の「相棒」として機能する可能性がある。従来は外在化したメモを見ながら、自分の頭で情報を結びつけ、検索しながら活用していた。AI時代ではメモが先回りして、自分が求める情報を対話的に提示してくれるようになる。
メモを取る行為が一方向から双方向のコミュニケーションへと変わる。実際に話題のObsidianとCursorを組み合わせれば、この対話的メモを擬似的に体験できる。まだ不十分ではあるが、今後さらに進化したAI時代のメモツールやナレッジシェアツールが登場するだろう。ハードウェアと紐づく可能性も高い。Plaudのようなデバイスにはまだまだ可能性がある。
将来的には、マルチモーダルな技術とARグラスが融合し、見たものをすべて記録するようなハードウェアも登場するかもしれない。人の顔を見た時に名前や過去の会話内容がサマリーで表示されるシステムがあれば素晴らしいと思う。
会話データ・ファーストへのシフト
対話型メモが普及すると、従来の「正しく要約する」から「まず全部残す」へとシフトする。メモや議事録は構造的にわかりやすく記録する必要があったが、わかりやすく整理するのはAIの方が得意だ。
そうなると、要点だけをまとめるよりも、すべての情報を正確に記録することが重要になる。特に会話データの保存が鍵となるだろう。会話ベースから始まるメモアプリやメモの取り方は今後主流になってくる予感がある—そんな潮流を、「会話データ・ファースト」と呼ばれるような時代が来るかもしれない。
ナカジなりの現状の解釈とトライ
少し先の話が続いたので、現在のメモへの取り組みをまとめておきたい。
この数年はScrapbox(現:Cosense)を頻繁に使っていた。言葉とハッシュタグで管理でき、階層構造がないのがメモとして最適だ。複雑な機能がなくシンプルな点も気に入っている。これからも基本ツールとして活用していく。
ただScrapboxはあくまでメモのためのツールだ。それを生産性につなげるには、他のツールとの組み合わせが必要だった。ChatGPTにコピペして思考を深める方法を使っていたが、ObsidianとCursorを組み合わせれば、先述した対話的メモがより実現できると考えている。
先週から試し始めて、可能性を感じている。ただしObsidianの使い方を誤ると、階層構造と同じく「人類にはまだ早い」ということになりかねない。この2つのツールでうまく対話型メモが実現できるか、今後の実験に期待している。
つまり、Scrapboxは思考メモツールとして、Obsidianは外部拡張の情報保管庫として使い分ける予定だ。
書くコストはAIでゼロに近づく、考える/問いを人間は主導すべき
AIの発展により、文章を「書く」というコストは限りなくゼロに近づいている。ChatGPTやGeminiのようなAIモデルは、与えられた指示や情報から驚くほど自然な文章を生成できるようになった。しかし、これは単に「書く」という行為の自動化に過ぎない。
知的生産において重要なのは、「何を書くか」を決める思考プロセスだ。つまり、「問い」を立てる力が今後ますます重要になる。AIは与えられた問いに答えることはできても、本質的な問いそのものを生み出すことは難しい。
例えば、投資仮説を立てる際、市場規模やビジネスモデルについての情報整理はAIが得意とする領域だ。しかし「この技術が10年後の社会をどう変えるか」といった本質的な問いを立て、そこから独自の視点で仮説を構築するのは人間にしかできない。
だからこそ問いを産み出すためのメモは侮れない。今後より重要性が増すだろう。これからのPKMは、単なる情報の蓄積ではなく、「良い問いを発見・育成するための装置」として機能する必要がある。メモは答えを記録するのではなく、問いを育てる土壌となり、最終的に価値ある問いを収穫する場となるべきだ。
そのためにも個人としても組織としても良き問いが生まれるためのメモ整備、AI時代のPKMについては今後も考え続けたい。
AI鬱
AIが導入されて、自分の仕事の生産性は確かに上がったような気がする。一方で自分のメンタル的に良い方向に向かっているのかは怪しいなと思う。
AIのおかげでこれもっとここまでできるなという可能性が広がった。逆にその可能性を見ると、そこまではできるのになんでサボっているんだろうっていう気持ちが出てきてしまう。。AIがない時代にはもう少し現実的に無理だったのだが、気力さえあればもう少しできてしまう。
一方で人間気力が常にみなぎっているかというと、そういうタイプもいるが自分はそうではない。そう言った意味においてAIにおいてできることが広がったからこその鬱。みたいなのは今後も増える可能性があるかもしれない。
本:バリ山行
なんだろう、なぜかスタートアップってこれだよなっていうのを感じざるを得ない感じだったので同じ感想になるのか、業界の人呼んでほしい。
あと山に行きたくなる。毎年年に一度ぐらい山に行くのだけど、今年は車もあるしもう少し行っても良いかもしれない。
登山道を歩くのではなく、遅いかもしれないけれども自分で道を切り開く。合理性だけだと息がつまる社会において、どこで息ができるのかということも考えさせられる。
令和の芥川賞にぴったりな本でした。