シルバーウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。長期の休みというのはひたすら観光地が混んでいるから、家にいるんだ!という合理的のようで逃げの言い訳をして家にいて、作業や今後のことを考えていたら、ちょっと憂鬱になったのでノリで今松本まで気分転換の作業をしてました。松本がすごく良いというのはちょっとまたどこかで書きたい。
Xではもう先に発表しましたが、人文奨学金の2期の発表をさせていただきました。今回は正直2回目なのでそこまでいろんな人から応募はないんじゃないかと思っていたところもあったのですが、前回を超える応募数となりまして審査に非常に難航し時間がかかってしまいました。
今回も面白い研究者を採択することができましたので、一人ずつ少し短かくなりますが研究内容とともにこのメルマガでは紹介させていただきたいと思っております。詳しくは特設のwebサイトをつくったので、ぜひ!必ず!みてください。下記から見れます。
過去の知が未来の政策を照らすとき ――初期近代科学史から宇宙・気候ガバナンスへ 須田千晶
https://mikan.anri.vc/reader/2026-01
歴史は繰り返すとあるが、その歴史学をいかに未来の応用に繋げられるかということを問いとして研究されている。まさに普段のベンチャーキャピタルという仕事もスケールは小さいが同じような問いを抱えながら仕事をしている。宇宙・気候ガバナンスという現代の課題に対して挑んでいるのも面白い。
歴史学というなかにこういう分野があること自体がこの奨学金を通してはじめてしった。単純に歴史を知るだけでも個人的には好きだけれども、どうApplyしていくのかについては自分もずっと考えていきたい。
応用歴史学(Applied History)」の実践である。応用歴史学とは、簡単にいえば、過去を「未来を考えるための思考材料」として使う試みだ
後悔の社会的伝播と能動的探索の最適化: 後悔を語り合うことで選択はどう変わるか 隅田莉央
https://mikan.anri.vc/reader/2026-02
後悔しない人生・選択肢をしたいと皆が考えていると思うが、実際全く後悔をしない人生なんてものはあり得ないだろう。その後悔ということに主眼を当てて研究したこの研究を拝見したときに一つの行動をここまで深く考えていることに驚いた。後悔という行為から人間のことを考えるきっかけになる面白い研究と思っている。
後悔というのは人にとって避けたいものだが、この研究を通じてイニシエーション/通過儀礼的なものであるのかもしれないとも思えるようになってきた。
この研究は「後悔は消すべきネガティブな感情」ではなく、「人と人との間で情報探索のノウハウを伝える媒体」として捉え直そうとする試みです。一人の失敗で生じるネガティブな感情が、なぜ頻繁に語られるのか、そして語られることで個人間の選択を、そして集団としての失敗に対するナラティブを形成していくプロセスを解き明かします
ミミズの名前から、自然の見方を考える 〜DNAと地域の記憶から探る、もう一つの「種」〜 遠藤 颯
https://mikan.anri.vc/reader/2026-03
知らなかったがミミズには多くの種類がいるらしい。そこまで遠くにミミズはいけないためその土地独自のミミズというものが育ちやすいらしい。そうしたミミズをその土地の人に見せると他の種と分別が一瞬でつくらしい。
科学・理学的な境界のみでその種の分別をしていいのだろうか。そういった民族分類も取り入れていくべきではないかという提案は重要なのではないか。
こういった理系的な知と人文的な知が混ざるところはANRIっぽいし非常に交差する感じがある。このような問いの立て方は非常に興味深い。
科学者がDNAや顕微鏡を使って「同じ種・違う種」と判断するのと、地域の人々が長年の経験から「同じミミズ・違うミミズ」と判断するのでは、何が同じで、何が違うのでしょうか。
神話はなぜ人を動かすのか――本居宣長・平田篤胤から考える共同体と死生観 増田友哉
https://mikan.anri.vc/reader/2026-04
グローバリゼーションの反動を感じる2020年代において、共同体とは何かという問いは自分の中でも、また時代においても重要な問いになってきているように感じる。そういった時に神話はただの古い話ではない共同体を強く動かす力にもなり得る。その際に国学について研究していくことに意義があるとは思う。
個人的にも2020年代以降の精神的なものはこのあたりに重要な何かがある気がしている。フラット化していくものからの反動において何に軸を置くのかということは何個か仮説があるが、こういった神話というものは重要かもしれない。
神話が人を動かす力は、古い物語のなかに最初から固定されているわけではないのではないか。誰が、どの時代に、どのような問題を抱えながら神話を読むのか。そして神話を、食べること、死ぬこと、地域で生きることといった日常的な経験へどう結びつけるのか。その解釈のなかで、神話は現在に意味を与えるものへと生まれ変わる。
都市計画の政治思想史 近代日本におけるテクノロジーと「社会」南藤優明
https://mikan.anri.vc/reader/2026-05
大正時代は多くの技術が日本に普及していった時代でもある。そうしたときに実務家が政治にも絡みながら都市計画を進めていった。それは今の時代にもアナロジーとして効いてくることは多いのではないか。2026年は高市戦略17分野が発表されたりする中で政治と経済がより近づいているのを感じる。
テクノロジーがどれだけ今後も進歩しようが、人間はそう変わらない。過去を振り返ったときにそのテクノロジーに対しての反応を見ていくことは将来を考える上でも重要になる気がしている。
テクノロジーは、その開発者がまるで想定していなかった政治的構想や行動に、様々な形で結びついていく。同時代人としてその只中に生きながら、様々な形で広がる政治像を適切に整理し、より確からしい未来像を選び取っていく作業は、困難を極めるだろう
人生の意味の感情主義 太田泰幹
https://mikan.anri.vc/reader/2026-06
一度は全員が考えたことはあるのではないかという問い、なぜ生きているのだろうか?人生に意味はあるのだろうか?と。そうした問いに対して哲学的に向き合っている研究で個人的にもずっと考えている問いであったため面白く研究を拝見した。
ポストモダンと言われてきた中で小さな物語を探す我々に意味をどう捉えるのか、重要な問いのように思う。
AIなど含めてより人間の仕事や生活の仕方が今後より変化をしていくことが予見されるなかで、人生の意味ということを問い直す作業が強制的に発生するのではないか。そういったときにこういった研究が拠り所になっていくことを願う。
人生に意味があるにせよ、ないにせよ、そうした判断は私たちの感情と分かち難く結びついているように思われる。「これこそが私の生きる道だ」という判断には誇りや希望が、「人生に意味などない」という判断には悲しみや絶望が伴う。これは、人生の意味と感情との間に本質的な結びつきがあるからだ、というのが私の立場だ。
道徳は本当に有益なのか?――分断・暴力・対立を超えるための新しい倫理学の展開 矢歌礼次郎
https://mikan.anri.vc/reader/2026-07
道徳というのは小中学校のときに授業であるように人にとって大事な価値観の創出につながっている。一方で昨今のリベラル的価値観の限界など含め、道徳があるからこそ政治的分断やイデオロギー対立が起きてしまうという仮説は確かに一理ある。
そのときに倫理学・倫理はどういう働きをすることができるのだろうか。この研究を聞きながら新しい倫理学に期待したくなった自分がいた。
2026年的な問いとしてこの道徳について考えることは一つ重要なものなのではないかとこの研究を聞きながら思えた。
道徳廃止論は、Ian Hinckfuss(1987)による提唱以来、道徳的信念は真理を反映しないばかりか、「暴力の動因となる」「不平等を固定化する」「合意形成を妨げる」という点で社会に実害をもたらすと論じられてきた
どのように「死」の意味を取り戻すのか――英国モダニズム女性文学におけるdeathways、情動、日常性の研究 栁澤彩華
https://mikan.anri.vc/reader/2026-08
現代において死は少し遠い存在のように思われているが、自分の年齢もあるかもしれないがコロナのような感染症の脅威や戦争などの危機が昔よりは身体感をもって近づいている可能性がある中で、死とはどういうことなのかを考えることは重要なのではないかと思っている。
さらにこの研究では戦争のような大きな死ではなく、日常の死・小さな死を題材としていることも意味深い気がしている。
死というものに対していつまにか遠くなってきているが、本当は近いものである。穢れとしての死てきなものの感覚が日本において強いかもしれないが、メメントモリ的な思想もある。死について考えることはスピリチュアル的ななものになってしまう。そういった意味においてもこの時代に考えることが必要である気がする。
死を単に医療や葬送制度によって処理される出来事として捉えるのではなく、生者の日常、身体感覚、情動、他者や環境との関係の中で経験されるものとして捉え直すことである。現代社会においても、医療、介護、看取り、グリーフケアなど、死に関わる問題は多くの人にとって身近である
大正期の谷崎潤一郎におけるエキゾティシズムの「美」に関する研究 芹澤凜香
https://mikan.anri.vc/reader/2026-09
谷崎潤一郎が、美を追究し続けた作家であり、特に大正期においては異国の美が重要だったということは全く知らなかった。異国の人や物を美しいと思う心というのはどういう心理なのか、オリエンタリズムでもポストコロニアリズムでもない説明の方法でこの異国というものと美しさを考えていくことは、今世界情勢が難しくなっていくなかで異国のことを考えることで自分の国のモノの見方を捉え直すことが必要なのではとこの研究を通じて思えた。
ハーフという人が美しいというようにされている気がするが、それもではいつからそういった概念が広がっていったのか。グローバリゼーションに対してヒビが入っているこの時代において問い直すべき考えなのかもしれない。
大正期の日本人は、西洋からエキゾティックにまなざされる一方で、自分たちもまた海外に「異国らしさ」を見出そうともしていた。このような複雑な立場の中で谷崎は、西洋を進んだもの、東洋を遅れたものとする単純な二分法とはどこか異なる形で、エキゾティシズムが生み出す「美」とは何かを考えていたのではないだろうか。
恋は「バラ色の人生」をもたらすか?─恋愛感情想起による視知覚への影響検討─ 神岡拓真
https://mikan.anri.vc/reader/2026-10
恋をするとモノの見え方が違う、恋は盲目などいろんな恋にまつわることわざのような伝承なものがあるが、実際に科学的にもその感情想起がどういう影響を及ぼすのかということを研究されている。ある種の文理融合的な研究方針も興味深いし、なによりテーマがいかにも人間的なものであり面白い。
「人が持つ哲学的・実存的な思想や問いは、人の世界の捉え方とどう関わるか」という、より大きな問いである。多くの文学作品などで語られるように、恋愛は、人の生き方・思想・時には死生観にすら影響を与える体験である。
権威を問いの俎上に上げる:アウグスティヌスの前期・中期著作における権威概念の研究. 石川知輝
https://mikan.anri.vc/reader/2026-11
権威という概念は嫌悪される対象として描かれることが多い。一方で権威というものから人間は逃れられない。ポスト・トゥルースと言われることも少なくないこの現代の中で何を信じるのかにおいて権威の問題は非常に重要である。アウグスティヌスは時代に他に様々な宗教が躍進していく中で、キリスト教の権威を再構築した人であり、彼の権威についての研究は現代においても参考になることが多いと予感した。
余談だが例えば日本からなぜLVMHのようなものがでないのかというビジネス的な問いもこの権威の問題において語り直すことができるのではないかということもこの問いを見ながら自分は考えている。
現代において喫緊の問いは、いかにして権威を排除するかではなく、権威一般の必要性をどのように正当化し、個別の妥当な権威をどのように選び、それを他者との関係の中でどのように位置付けて利用するかということにある。
日本古代の貴族支配構造 原田華乃
https://mikan.anri.vc/reader/2026-12
貴族という言葉だけ聞くと雅なものをどうしても考えてしまうが、研究を聞いていると古代の人間も今に生きる現代人のように悩み生きていたことがわかる。
また制度をいくらつくっても抜け穴ができていることを研究していくことは、古代を変に美化することを予防できるとも思う。古代の貴族も公務員であったとおもうとそれはそれで親近感が湧く。
最近、逃げ上手の若君 という作品を改めて読んだ。ジャンプの作品であるが、歴史漫画でもある。エンターテイメントとしても面白いが、その当時の法律や考え方がまだ現代日本においても大きく影響を及ぼしていることに驚いた。そういった歴史の連続性というのは古代と現代が違うわけではまったくなく感じることは重要なのではないかとこの研究を読んでいても思えた。
法典によって明確に定められ、絶対的なものと考えられてきた位階制が、成立直後から現実社会との間で揺れ動いていたことが分かる。また、律令の制定から百年を経た時点で、人々の法に対する認識や、位階が持つ社会的な意味が、当初のまま維持されていたとは考えにくい。
民主主義は、なぜ自らを内側から変えてしまうのか ――欧州の急進右翼政党と中国・ロシアとの「意外な関係」から考える 譚 天
https://mikan.anri.vc/reader/2026-13
世界各国を見てもリベラル・左派は後退していることは自明である。その中で同様に各国で急進右翼政党が現れてきている。なぜ同様なことが世界中でおきているのか、また民主主義というのはどういうメカニズムなのか。2026年に考えるべき問いだと思っている。
日本においても過去の選挙を見ていると同じような政党がでてきているし、保守・右翼というものが目立つことを感じる。労働者層の思いを託す先が左翼政党から右翼政党に代わり、エリート層が思いを託す先が右翼政党から左翼政党へ変化しているようにも感じる。民主主義に関しても2020年代に大きく問われていることがまだまだ多くでてくる予感がする研究である。
急進右翼政党は「社会の不満に応答する存在」であると同時に、「自由民主主義の制度を揺るがす可能性を持つ存在」でもあります。この二つが同時に成り立つことこそ、問題を単純な善悪では語れない理由なのです。
AIエージェント時代の同意をめぐる哲学的分析 高原 亮
https://mikan.anri.vc/reader/2026-14
AIエージェントというものが昨今バズワードのように使われている。どのぐらいの速度かはわからないが、AIが様々なタスクを勝手に代わりにこなしてくる時代はくるだろう。21世紀はAIの時代だったといえるのは確定しているが、ではAIがなにかをするときにどこまでを同意とみなすのだろうか。AI倫理含めて今後重要な研究だと思う。
今後当たり前だがAIの進化がさらに進んでいく中で、人間とAI(テクノロジー)の関係性についての問題や問いは非常にでてくるであろうことをこの研究からも感じ取れた。これも人文知だけの問題ではなく、企業がどこまでの倫理観・思想でこのようなテクノロジーに向き合うかは問われる時代になるであろう。
「同意」は、これまでは人間が自らの手で行ってきたものだが、それをAIが人間に代わって行うようになるだろう。そのようにAIを利用するとき、私たちはAIに「私に代わって同意してよい」という権限を与えている。本研究は、この「同意する権限を他者に与える」という行為に注目し、これを「委譲的同意」と呼ぶ。この同意の形態こそが、本研究のメインターゲットとなる。
共同体・リベラルの更新・霊性・技術と哲学
というわけで、合計14名の今回の採択者の研究を紹介させていただきました。どの研究も今の2026年に考えるべき問いが詰まっていると思っております。自分がどの研究を採択するかどうか考えていく中でふんわり考えているテーマとして、共同体・リベラルの更新・霊性・技術と哲学みたいなことを2026年は考えておりました。結果としてそういうテーマの採択が増えた感もあります。
毎年行っていくことにより、その時代に研究者が考えていたことや、ANRI/ナカジが考えていることの積み重ねができる気がしており、ぜひそれを10年間でみると面白い軌跡が見れるのではないかと楽しみにしております。
また何度も推して恐縮ですが、今回は社会に問いを開くというための仕掛けとしてwebサイトを kern社のタカヤ・オオタさんと共に制作させていただきました。問いの本棚として、ぜひ改めてですが一度webサイトを見て、興味のある研究内容・問いに手(ポインター)を伸ばしてみてください。
















